デジタルの中でのアナログ回帰 (1-1)

                     第一章

 個人間の相対誤差は、視覚上のことにとどまらない。十四世紀、キリスト教圏で24時間絶対時間制が導入され、時計塔や聖堂の大時計が建造されるまで、人間の生活において時間制度は陽の昇っている時間を等分していた。季節によって伸び縮みのある相対時間制度だった。日本に至っては一般の生活に時計が導入されるのは明治に入ってからである。時計が導入される以前、1日という時間の中では、個々人の時間感覚は曖昧なものとして、時間感覚のゆらぎはかなり許容されたはずである。近代以降、懐中時計、腕時計へと計時機器が発達普及を遂げたことは、時々気にすれば良いものから、常時気を使っていなければならないものへと、時間が高価値化したことを物語っている。
 では個人が時間に対する意識を局面として捉えていったのか。「今、何時ですか?」と問われたとして、「12時05分27秒です」と、秒まで答える者はそういまい。問うた方も秒まで聞いてはいない。答え終わった時には12時05分27秒という局面としての時間は過ぎ去っており、過去の価値が下落してしまうことをお互い無意識で悟っているからではないか。しかし時計の針は時針、分針、秒針、1/10秒針、1/100秒針〜と数を増していき、時間の微細化は絶え間なく進む。そして時計の示す「微」とは、それまで切り捨ててきた知覚外領域の顕在化なのである。


1-1「訪れない明日のために」1995年

1-2「RIUE-S」
 
 私の作品「訪れない明日のために」1-1は、1995年東京都美術館での東京芸術大学大学院修了制作発表展において発表した。
 この作品は大小2種の歯車を用い、それらの組み合わせで人間を含めた異種生物間の時間感覚差、また同種の個体間における時間感覚差、さらに個体内での時間感覚の変化についての検証装置とした。
 1-2は「訪れない明日のために」での機構「RI-UE-System」(以下RIUE-Sと表記)の概略図である。
 「RIUE-S」の構造は一般に、ロー・ギアと呼称される歯車の連動構造体であり、機構を単純に大規模化したものにすぎない。1-2で表されている2種類の歯車が、大が32、小が16の歯で形成されているならば、ギア比は大:小=2:1。すなわち小歯車が2回転したとき、隣接する軸の大歯車は1回転する。

 ここでは同軸2種の歯車を一組とした。 (00)をモーターに直結した小歯車とし、(00)が1回転に要する時間を1単位とする。1-2に示されている歯車脇の数字は、各組の1回転に要する単位時間である。1-2では図版上の構造の単純化のためにギア比を2:1に設定したが、実際の作品「訪れない明日のために」での歯数は、大を80、小を20とした。ギア比は大:小=4:1となる。指数的に低下していく速度で回転する各いずれかの組に自らの時間認識を投射させる試みであった。

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